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皮革工芸の伝統と厳選された素材から生まれた
気品溢れるバッグの芸術品
皮革工芸の伝統と厳選された素材から生まれた
気品溢れるバッグの芸術品
江戸時代、革製の鐔(つば)や鞘を手がけていた濱野清太郎の技術を受け継いだ甥の伝吉が「濱野伝吉商店」の名で創業したのが明治13年(1880年)。 ちょうど、長い鎖国の眠りから覚めた日本が、近代化に向かって走りはじめた時期でした。やがて軍人用の帯刀、婦人ベルトなどの制作を経て、 長年培った技術を活かし、昭和初期からハンドバッグを手掛けるようになりました。
江戸時代から続く伝統
江戸時代に作っていた鐔(つば)や鞘は、鉄や赤銅に比べて軽いため、武士に重宝されました。そのころから続く「使う人の身になって、良いものを作る。」という濱野の精神は、時代が変わり作るものが変わっても伝統精神として脈々と受け継がれ、長年培った技術とともに、現在も濱野皮革工藝の基本精神となっています。
ファッションを意識したトレンドの研究
街ゆく人々の装いに西洋の風が吹き込んだ時代に、その変化を敏感に感じ取った二代目初男は、当時は大変珍しかったVOGUE誌など欧米のファッション誌を取り寄せたり、研修のために職人をフランスに派遣するなどして、徹底して世界のトレンドを研究しました。その結果、それまでの常識を破る美しい曲線美を持つハンドバッグを世におくりだすこととなりました。
ポロがつなぐ皇室とのつながり
3代目の敬之は、乗馬の腕前を見込まれ、ハワイのポロトーナメントに出場した後、皇室のポロ競技のご指南役を拝命されたことによって、世界のセレブリティとの交流を深めることとなりました。そのことがきっかけとなり、濱野皮革工藝の名が、日本の皇室から海外の国賓に贈られるハンドバッグメーカーとして、知られることになりました。
シンボルとなった濱野のフォーマルバッグ
皇室や世界の王室でも愛用されるバッグとして、代表作である「ロイヤルモデル」が濱野のシンボルとして広く知られることになった後も、伝統技術と精神を注ぎ込んだ フォーマルバッグシリーズは濱野皮革工藝の代表作になりました。 そして現在、受け継がれる伝統精神を元に濱野が掲げるテーマは「日本女性を美しく引き立てるバッグ」。グローバル化が進む時代だからこそ、世界に通用する日本の美を追求し、デザインしています。
乗馬がつなぐ濱野と皇室の出会い
当時のハワイで、ポロのプロ競技者であった3代目の濱野敬之が、皇室のポロ競技のご指南役を拝命したことで始まった皇室とのゆかり。 「使う人の身になって、良いものを作る。」という精神は、お納めするハンドバッグにも活かされ、現在でも皇室や世界のセレブリティに愛用されています。
1880年、初代が新橋で刀のつばや鞘の製作を皮で作りはじめました。 当時、新橋には武家屋敷が多くあり、刀の製作業を営む者も多く、職人の町として賑わっていいました。
早くから海外に目を向けていた濱野は、和装から洋装への変化をいち早く取り入れました。ヨーロッパの有名工房から、最先端のセンスと技術を導入し、日本のプレステージブランドとして確立しました。
戦時中、軍用に牛・馬革が用いられ、バッグ製作用の調達が困難となりました。そのため、ウサギ革や竹を使用したバッグ小物を制作していました。 戦後も物資が手に入りづらい時期は続き、皮革製のバッグ作りには非常に困難な時代でした。
ポロ競技のプロ選手としてハワイで活躍した三代目。当時、皇太子(現天皇陛下)のポロのご指南役を仰せつかることから皇室とのお付合いがはじまりました。
かかえバッグから手さげタイプに変化をとげ、新しい時代へ。 ヨーロッパに目を向けていた濱野は、現地からのバッグを仕入れ、そのデザインを取り入れつつ、日本人に合ったメイドインジャパンのバッグ作りを手掛ける。
1960年代ミラノで公募した濱野の頭文字Hを幾何学模様にして組み合わせたデザインを、ジャガード織で表現しました。 約半世紀たっても色あせることのないデザインです。 又、口金の技術はソーイングといって、1針1針手作業でとめていきます。これらのデザインは1枚絞りといってラム皮を贅沢に丸1枚ハギなく使用しています。
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